経済指標

 1918年7月18日 ネルソン・マンデラ氏は南アフリカ第8代大統領の生まれた日です

若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。

 

歴史を掻い摘むと

1652年4月6日ヤン・ファン・リーベック率いるオランダ東インド会社の4隻の船がテーブル湾に上陸し、補給を目的とした入植地を建設した。ここはケープタウンと名づけられ、以後の開拓の拠点となった。

幾たびの紛争を経て

1910年5月31日に成立した南アフリカ連邦において、最も重要な政策は白人間の人種問題であった。富裕でリベラルなイギリス系と貧しく保守的なアフリカーナーはあちこちでいざこざをおこしたが、やがて黒人を犠牲にすることによって両人種はともに経済成長を達成し

1914年に内閣を飛び出し国民党を結党した。一方で、南アフリカ党政権は白人の地位向上を目指して黒人差別を法制化し、1913年の原住民土地法によって黒人を居留地へと押し込めようとした。

植民地主義が世界に根付いた頃のことです。

ここから黒人にとって、さらに悲惨な現実となっていくマンデラ大統領は幼少期をこの大勢の元に成長していったのです。

氏の不屈な精神が有ったから、今の南アフリカが有るのです。