澤上篤人氏の日記
******経済学では
お金の量は経済発展に合わせて増加させる、当たり前の事ですが少し時代を撒き戻して
不換紙幣になる前は金と交換してもらえたドルでした(兌換紙幣)。
日本では1931年に金の輸出停止と同時に兌換停止してます。
アメリカでは1971年ですからつい最近のことで(アポロ14号が月に着陸しました)
ニクソンショックです
1971年8月15日ドルと金の兌換停止です(当時1オンス=35ドル)28.3495グラム
此処から円の大暴騰が始まりました
1ドル360円の固定レートは1971年4月で廃止されてますから、ドル兌換停止は分かっていたことでした。
その後プラザ合意(1985年9月)で円は再度暴騰を始めます。
チャートから分かる通りに150円に大きな壁があります、この壁を何度かアタックしていますが抜けるには大参事が必要でしょうね。
プラザ合意までに250円を抜けれなかったと同様なことです、そもそもプラザ合意と言ってますが、それは欧米の意見で呼びつけられた日本は合意ではありません。
「押し付けられた」というのが事実です。
2年ほどで100円以上の円高は日本経済にとっては厳しいのは当たり前だが敗戦国の日本には意見を言う権利も無かった。
従うしかない事実は当時の日本では「苦難に耐え」、、、、玉音放送のような感じ。
******玉音放送を聞いたことが無い日本人がほとんどとなりましたので改めて
大雑把に、かなり端折って澤上氏のコメントに繋がります。
******欧米の経済対策は全て我田引水です
歴史的に見ても、考え方が「植民地政策」当時と変化はありません。
人間は育った歴史をトレースしていきますので、FRBやECBの高官が認識を変えるなどと考えてません。
自国経済へ資金を注入すれば経済は発展するという発想から転換は無いでしょう。
自国経済が大問題となればやる事は金融緩和しか方法を持たない、経済が好調の時に次に来る経済減速に備えるなどという考え方は皆無です(それが欧米流)
当然、何時かはインフレとなる。
それが今という事だが、オオカミ少年は言い続けたのです。